2012年2月8日水曜日

HAUSCHKA at WWW 30/11/2011





http://www.dax.tv/features/336.html
special thanks to DAX & WWW staffs.

2012年2月4日土曜日

その先に進むということが大切なんです


photo by Fuminari Yoshitsugu

ハウシュカの昨年来日時唯一のインタヴューがアップされています。
このインタヴュー、聞き手の二人との相性が余程よかったのか
まさにGeist des Hauschkaを伝えるすばらしいインタヴューとなっています。

インタヴュー「完全ではないからこそ素晴らしく感じるということ」

2012年2月2日木曜日

YFT 2011 : Yosuke Yamaguchi



「自然がそもそも水晶のようなものを意図しており、
それは(風化の過程において)失われ、
人間により再び形成されることを
待っているのだ。
(中略)
こうした宇宙の包括的な骨格というのは、
大きな水晶なのである。
言ってみれば、その隠された構造なのだ。」
(ブルーノ・タウト)

互いに反射し合う面のように、
僕たちは隣り合っていて
光を受けたらそれを反射し、繰り返し増幅していくことは、
構造上、あたりまえのことなのだと思う。

「自分が心の奥で本当に何かを感じているなら、
それぞれの方法で表現するのは義務なんだ。」
(ハーモニー・コリン)

「医学を医術、農業を栽培術といったりしましたが、
その術が必要なわけです。
もちろん芸術もその術を使わなければなりません。」
(ヨーゼフ・ボイス)

去年、友達のパトリック・ツァイが飼っていた猫のWILLYが
車にひかれて死んだ。
WILLYは彼だけの飼い猫というわけではなく、
彼の住む幡ヶ谷周辺の家々を渡り歩いていた。

パトはWILLYの小さな仏壇を作り、
家のまわりの塀にWILLYの写真をたくさん貼り出し、
小さな展示をやった。
すると、知らない人たちが集まってきて
パトの知らないWILLYの話をし始めた。
知らない人が思い出を書き綴っていった。

「娘が小学一年生の時のある日、放課後うちに帰ると
鍵を忘れたことに気づきました。
娘ははずかしくて友達の家に行くことも、
学校に戻って先生に言うこともできなくて
泣き始めました。
娘が泣いているとどこからともなくWILLYがやってきて、
彼女をなぐさめてくれました。
その日からWILLYが通りで娘を見かけると
近づいて挨拶をしてくれるようになりました。
娘にとってWILLYは友達のようでした。
ありがとう、忘れません。」

「もし君がモーツァルトが好きで
僕もモーツァルトが好きなら、
僕らの間にはすでに共通のものがあり、
少なくとも互いを殺そうという気持ちはなくなるよね。
その文化の中で共有できるギフトを提供することが、
アーティストの一つの役割としてあると思う。」
(ミルトン・グレイサー)



その水晶は個体のように見えて絶えず変化している。


「不動性はいつも瞬間的だ。
それは一瞬相応の時間しか持続せず、頼りなげで、
しかも完璧な均衡状態のことである。
すなわち
光が微かに揺れ動いたり、
雲が湧き起こったり、
気温にわずかばかりの変化が起きただけで、
静寂の協定は攪乱され,
一連の変化(メタモルフォシス)を呼び起す。
一つ一つの変化は同時に別の瞬間の不動性となり、
それに続いて、さらに新しい変貌と、
思いも寄らなかったような、
別の均衡状態を生み出していく。
そうだ、天涯の孤客などというのは、
実はどこにもいないのだ。
こっちの変化は、向こうの変化を誘発する。
天涯の孤客がいなければ
本当に確固たるものもない。
変化は固定性に姿を変えるものの、
それは瞬間的な約束ごとでしかない。
そうなると変化の形式(フォルム)は固定性、
より正確にいえば変化とは
固定性の絶え間なき希求ということになろうか。」
(オクタビオ・パス)

HAUSCHKA公演で観た
山本達久さんの演奏から肌で感じたのは、
光が反射し合いながら踊っているような
「瞬間」の連なり。
再びパスの言葉を借りれば、

「それは経由ということだ。
しかし私が〈経由〉と言うや否や、
妖術(からくり)は御破算になってしまう。
本質は経由ではなく、ただ単にどこどこへ
向かっているということにある。
経由点は消滅していく。
そうあってこそ初めて
経由ということができるのだから。」
(オクタビオ・パス)


三月のある日、
連日部屋に閉じこもりながらニュースを見続けて、
いいかげんうんざりしたので、あの子をデートに誘った。
人もまばらな動物園で、自分から手をつないでみた。


「この世は自然の定理のみでなんの愛嬌もないのである。」
(色川武大)



山口洋佑
( Patrick Tsai "Talking Barnacles" )

2012年1月31日火曜日

YFT 2011 : Tori Kudo

「草枕」

山路を下りながら、こう考えた。
津波のvideoを撮るために戻って死んだ人は言葉が上だったと
だから言葉なんて覚えるんじゃなかった*ⅰと
御苑のタリーズで男が電話している
「地上では その一日が終わろうとしています」
その近くの草枕*ⅱというカレー屋の話をしようか
開店したての頃行ったら不味かったが
最近ランキングの上位に来ているらしいので
行ってみたら矢張り不味かった
言葉を食べてるみたいだった
ただ店主は前より自信有り気で太っていた
要するにかれは味を変えるのではなく
その味が好きな自分を認める方向に自分を変えたのだ
店には「包丁人味平」の「ブラックカレー編」も置いてあり
インドではジャンルでさえないカレーの、
英国経由の辺境性を体現する鼻田香作は
麻薬でヨーロッパと共に自滅し
ラーメン顔の味平は雲南発の辺境性のやや薄い水の温度と
福神漬でやまとうた的に勝利する
だからぼくは立って店主に言った
おまえを食いにきたんじゃないと
ランキングに投票する奴らはカレーを食べてるんじゃない
言葉を食べてるんだと
それにひきかえ湯島の阿吽の汁なし坦々は
ランキングも上位だし実際美味い
激戦区におけるマーケティングとか業界的にはいろいろあるけど
ラーメンはカレーに比べて言葉が上に来ない
日本人がなぜ毎日ラーメンとカレーを交互に食べるのか
それは言葉で構成される意識と無意識の境を縫うように
出たり入ったりしているからに他ならない
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
ぼくは確認する
ぼくが御苑の何でもない喫茶店のビーフカレーを好んでいたのも、
安っぽいジャンルのような意味の落とし処を求めてのことであった
しかしその店も震災後閉店してしまった
だから今や御苑には
シニフェとシニフィアンの轟然たる乱れが生じているのだと
だからというわけじゃないが
ぼくが福岡の個展に出品しないかもしれないという噂を聞いて、
江上啓太が言葉が上に来ている人はこういうこと
(震災とか)があると表現できなくなるんだよねとか言ったらしい
どんな時でも文章として完成させることのほうが
内容より上に来るような人間にとって
今は辛い時らしい
御苑のタリーズで男が電話している
「地上では その一日が終わろうとしています」
言葉を出せ。それは立たない。(is8:11)
ぼくは確認する
言葉なんて覚えるんじゃなかった
という言い方で言葉を使う最後の試みも津波に呑まれた
総ゆる至上主義は津波のvideoを撮りに行って死んでしまう
そして漱石は人でなしの国で言葉のカレーを食べるのだと

*ⅰ 田村隆一「帰途」
*ⅱ 草枕のカレーは本当はとても美味しいです。念のため。


「色彩論」

シン・シャラ・イシュケンは7年間支配した

ニッポンの街に赤が結果してしまっている。
transparentを通過する受苦としての
血を見なければ終わらないのは判るが。
その結実を抑えるのが街路の作法だった筈だが。
Tottenham*の橙は青の中に上昇している。
紫を経ない赤への急激な上昇は
暴動を視る眼に
青のティンクトゥーラが宿っていることを明証している。

終わりは色なのか、と以前書いた。 
一色原理としての灰色の終わりだ。 
昨日もそう思った。

各々自分の中で得心していなさい。

色の話はにどとしないよ、と以前書いた。 
ビッチでメンヘラのピグメントが青だとしても、
癌センター前の路上で、影の中にきみどりを見よ。


* ロンドン暴動の一地域

とか


工藤冬里

2012年1月27日金曜日

YFT 2011: Midori Sakai




MFT2011

引越し (event)
_手放してゆくということについて

高嶺格 "とおくてよくみえない" (exhibition & book)
_「中心はどこにも存在しない」

チェルフィッチュ "3月の5日間" (theatre)
_いろんな3月があっておなじ3月もあっていずれにしろ時を経たいまでもこれは

Francis Alÿs (artist)
_前からすきだったけどやっぱりすきだわと唐突にわかることもある

James Blake "James Blake" (CD)
_それはだれにも言えないほど悲惨且つ愛すべき夜の音

文芸誌 (book)
_貪るのに適切なかたち

マームとジプシー "Kと湖のほとりで" (theatre)
ー不在に胸が張り裂けたまま長いこと泣き笑いで生きてきたからだ

香るものなにもかも (magic)
_それどころじゃないからこそその日私はまず香水を探した

玉ねぎ (vegetable)
_辛かったり甘かったり透き通ってうつくしくなったりだから野菜にうまれかわったら玉ねぎになろうと思う

絶句 ( )
_語れないそのかたまりをただのかたまりとして直視する真摯さと添い寝するよおやすみ


酒井翠

2012年1月26日木曜日

at WWW

2012年1月23日月曜日

YFT 2011 : Yuka Ichimura

Good Bye / Bé omid é didar
(Mohammad RASOULOF)

2011年は世界レベルでも個人レベルでも
うすうす感づいてはいたけれど見ないようにしていたこと」が、
いよいよはっきりしてしまった年、という感じがします。
自分の外も内も、なかなかハードでした。
みなさんも少なからず、そうだったのでは?
でも嵐の後には、自分が「どうしたって入れあげてしまうもの/ひと」が
いっそう色濃くなった。(serendipity!)

今年は、2011年で明らかになった/腹をくくって受け入れた事柄を血肉に、
こころ明るく生きていきたい。
さまざまな「差異」を面白がれる余裕を持って。
I'm so tough, tough!


■ライヴ:Kip Hanrahan "Beautiful Scars" @ブルーノート東京(12/9)

あまりに強烈な音楽体験、あまつさえ心底好きすぎて、
今もうまく話せない/そして話さない。

『AT HOME IN ANGER』発売になりました↓
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B006H33O3Y

■旅:神戸(2/25~27)

高速バスで神戸へ。(0泊3日の強行スケジュール!)
旧グッゲンハイムで行われた素敵なイベントを見るためだけに。
中島ノブユキさんのピアノ、北村聡さんのバンドネオン、
寺門孝之さんのライブペインティング、
ゲスト・荒戸源次郎監督とのトーク。
精神の贅沢をした。

■演劇:ままごと『わが星』@三鷹市芸術文化センター 星のホール(4/27)

作品と一緒に年をとりながら、まいとし一回見てみたい。
演劇でそう思ったのは初めて。感情のふたがぱかっと開いた、驚いた。

■ダンス:デラシネラβ『ロミオとジュリエット』@世田谷ものづくり学校(9/28)

ラスト、ロミオとジュリエットが死ぬと、
四方八方から転がる紙テープ、宙を舞うフリスビー!
玉手箱を開けた愉快さと切なさ。
私の肋骨の中で騒ぐ鳥を飛ばしたかった、拍手がわりに。

■映画(ドキュメンタリー):
マリー・ロジエ監督『ジェネシスとレディ・ジェイのバラッド』
シアターイメージフォーラムフェスティバル(5/2)

過剰なひたむきさが胸を打つ、
ジェネシス・P・オリッジとパートナー、レディ・ジェイのドキュメンタリー。
この映画そのものが旧い友人のよう。だいじにしたい映画。

■映画(フィクション):モハマド・ラスロフ監督『グッドバイ』
@東京フィルメックス(11/22)

ディテールの丁寧な積み重ねによって、
テヘランに住む女性の物語が、「私の」物語になる。
監督が映画と観客を信じている、ということを強く感じて、そこにも感動した。

■インスタレーション:ジェームズ・ベニング『ルール』
恵比寿映像祭(2/25)

ドイツ・ルール地方の7ヵ所に据えられたキャメラによるロングショット。
何も起こらないが常に何かが起こり続けている121分。
この強度にはヤラれた!
http://m.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&client=mv-google&v=exMVaswb5kY


■喫茶店:MOON FACTORY

2011年、三軒茶屋にオープンした喫茶店。
ぐうぜん見つけて珈琲を飲み、興奮して、詩を書いてしまった。
古いビルの2階、赤鬼の近く。探してみてください。
すばらしい場所。本当は教えたくないくらい。

■サロン:THE OVERSEA

通い始めてことしで3年。「ただ髪を切る」以上の体験をくれる美容室。
何もかもおまかせでカットしてもらったり、
何色にするか一切ひみつでカラーリングしてもらったり。
シャンプー台の右斜め前に見える、女の子が両手を拡げている写真に
everything's alright! と言われている気がする、いつも。

http://www.theoversea.com/


市村友花